私自身はどう生きるか―人とのつながりを求めて(近況報告と雑感) 井上 純

 長らく本サイトへの投稿を滞らせており、ご無沙汰しております。私の近況を報告し、併せて世相についての所感を述べたいと思います。
 今年1月、これまで共に暮らし、約7年間介護をしていた父が亡くなりました。私が10年ほど前、家族の複雑な事情もあって仕事を辞めざるを得なくなってからさまざまな面で私を支えてくれていた父でした。足腰が弱くなり、外出するときは車いすが欠かせなくなったほか、4年ほど前から認知症の症状が出るようになった父でしたが、要介護度は3で、もっと介護度の重い人がいることを思えばまだ余裕がありました。今になっても父には感謝の念が絶えません。
 父が亡くなってからというもの、私にとってこれからどのようにして生きていくかが最大の課題になりました。単に食べていくための稼ぎを得るだけならば片っ端から求人に応じればいいのでしょうが、この前仕事を辞めた時に自己肯定感の揺らぎが生じてしまい、これを立て直さずに仕事についても続かないのではないかと思っています。自己肯定感を立て直すには何かをやり遂げたという体験を積み重ねることと、そのことを認め、私を受け入れてくれる他者の存在が必要です。また、自分はいわゆる会社勤めに向いていないのではないか、とも考えることもあります。誰かに雇われて金儲けにばかり血道を上げるよりも、主体的に世の中に役に立てることをしたい、そのようなことも含めてこれからどう人生を歩んでいくかを今も模索中です。
 ただ、今後どう人生を歩んでいくかということは、父が亡くなってから慌てて取り組むことになったわけではありませんでした。介護の合間に「スペースナナ」という、地元でコミュニティスペースを運営するNPOに出入りしたり、「ふるさと回帰支援センター」のイベントに参加したりしていました。ワーカーズコレクティブ協会(協働労働協同組合)の就労支援講座に参加したこともあります。
 これからの人生への向き合い方として、単にどんな仕事につくかだけでなく、社会とどう向き合っていくか、どのように人々との関係を結んでいくかということについても考えを向ける必要があります。その一環としていろいろな人たちとの結びつきを広げるため、「哲学カフェ横浜」が開く集いにも何回か出ています。主催者は日本のフェミニズム・ジェンダー研究の第一人者の一人、金井淑子立正大学元教授。参加者の中には金井教授の教え子だった人や元NHKのプロデューサーだった方もいます。この集いに参加したもう一つの理由は今まで自分が考えてきたこと・思いを募らせていたことを多くに人に聞いてもらいたいという動機がありました。集いで話し合われるテーマはメディアに関することだったり、新自由主義下の若者を巡る問題だったりと多岐にわたります。今年の8月にあった集いでは2年前に起きた相模原障がい者施設殺傷事件についてのディスカッションが行われました。今では「スペースナナ」と並ぶ私の居場所になりました。やはり最後に頼れるのは人とのつながりだと思うのです。
 4月と6月は岡山を訪れました。岡山市と津山市の間に久米南町という町があります。そこに建立された「誕生寺」という名のお寺にひかれて昨年の夏に訪れたことがきっかけです。お寺の名の由来はこの地が浄土宗の開祖・法然上人の生誕の地で、上人の弟子が上人の両親を供養するために寺を建立したと伝えられています。私の家の先祖代々のお墓は京都にあるのですが、そこの宗派も浄土宗ですし、中学生まで過ごした世田谷は深沢の近くにあり、「お面かぶり」で有名な九品仏も浄土宗ですので、これも法然上人のお導きなのではないかと思っています。九品仏の「お面かぶり」といえば、実は誕生寺にも同じような行事があります。法然上人が生まれた4月に誕生寺ではそのことを祝う「式年法要」があり、そこで行われる二十五菩薩練り供養が九品仏の「お面かぶり」とそっくりなのです。4月の旅行はそれを見物するのが目的のひとつでした。
 私が今年、この地を二度も訪れたもう一つの理由は、就農と地方への移住に関心があるからです。まだはっきりとそのような生き方をすると決めたわけではありませんが、塩見直紀氏が唱えた「半農半X」という生き方に関心が向くようになりました。自分も何らかの形でそのような暮らしをできないものかと。そんな折にこの町を訪れてみたら棚田を中心とした里山の風景が広がり、岡山や津山といった都市にも適度な距離にあり、また人々は温かく迎えてくれるので、ここにくらしを移すことを検討してもいいと思いました。移住までしなくてもこの町に何らかのかかわりを持ちたいとは思っています。そこで町が主催する「くめなん体験ツアー」に応募したのです。棚田での田植え作業体験や移住する際に町が仲介する空き家の見学、公共施設や商店などの紹介などがプログラムに組み込まれていました。

 ここ10年の間に両親や親類の死を相次いで体験し、自分自身も50の歳を超え、残りの人生というものを意識するようになりました。若いころは高級外車を手に入れたり、海外リゾート地へのバカンスを楽しんだりするというようなことを夢想することもあったのですが、今となっては日々の最小限のくらしを維持し、あとささやかながら預金を積み立てたり年1回近間の温泉にでも旅行できるだけの稼ぎがあればいいと思えるようになりました。それよりも人々とのかかわりを大事にしたいと……。
 育ちのせいもあって小さな時から変わり者として扱われ、いじめられたりした経験も重なり人付き合いは苦手でした。自分の領域に干渉されたり、逆に相手のことを振り回したりすることは最も私が嫌悪することでした。そんなこともあって他人との深い関係を結ぶことは避けがちでした。最近になってそれは他者との関係を断って生きることではないと気付きました。お互いに相手を尊重しながら関わっていきたいと思えるようになりました。
 また3年前の安全保障法制反対運動で奥田愛基さんなどの若い世代が声を上げるのを見て自らの社会に対する責任というものにも思いを致さざるを得なくなりました。現在の日本の社会がこのような閉塞的な現状に陥っていることの責任の一端は自分自身にもあるのだと。若いときから世の中の出来事に関心がなかったわけではない。しかし日々の勤めや家族のことで手一杯だったり、市民運動やデモなどに対する世間一般の、どことなく忌み嫌うかのような空気に逆らうことができずにこれまでそこから常に一線を引いて生きてきました。
 会社勤めを辞めざるを得なくなったことによってそのようなしがらみを離れた観点で物事を考えられるようになりました。特に勤めを辞めてからそれほど離れていない時に起きたリーマンショックは私にとって東日本大震災より大きな影響を与えました(東日本大震災が私にとって軽い影響しか与えなかったということではありません)。前からお金を多量に、限りなく増やすことを最優先にする体制とそれを盲目的に肯定する風潮に違和感を抱いていましたが、リーマンショック以来「人間・文明と経済」を考えることが自分にとっての課題となりました。JANJAN以来の読者の方は、たぶん私が投稿する記事の中にそのような傾向を読み取られた方もいらっしゃるのではないかと思います。
 8月の「哲学カフェ横浜」の懇親会で、世間のしがらみにあらがうことができなかった自分を思わず言下にさらしてしまったことがありました。懇親会では70年代ごろの日本のウーマンリブ運動でリーダー格としてその名が知られていた田中美津さんが参加していました。田中さんが日本のこれからを悲観し、その理由として日本では個人として生きる人が多くならなかったことを上げたのを受けて、私が「日本には個として生きたくてもできない人と、そもそも個として生きるということそのものを知らない人がいる」と答えたのです。田中さんから「あなたがそう言う生き方をしたかったのはわかります」といわれたとき、今更ながらに自分の弱さを意識したのでした。

 私が「人間・文明と経済」について考えることを自らの課題と定めたのは理由があります。経済はあらゆる人間活動の基盤であり、常に自然(環境)・社会・文化・政治に無視することのできない大きな影響を与えます。世の中を変えたければまず経済という営みについてその根源から考える必要があると考えたのです。特に現代社会を根元から支配している資本主義市場経済体制というものについてその意義や論理などを徹底的に考えていく必要があります。またオルタナティブな経済体制というものを作れる可能性はあるのかという問いにも答えを求めていきたいと思っています。
 リーマンショック直後からマルクスの「資本論」を読み始めました。何しろ難解な本なので一朝一夕に読み進めるというわけにいかず、読む気力を途切れさせてしまったこともままあったのですが、それでも第2巻の前半部分(向坂逸郎訳の岩波文庫8分冊版の第4巻)まで読了しました。ほかにもポランニーだったりプルードンだったりマルセル・モールなどこれはと思ったものを手当たり次第に読みました。
 最近手に取った本にシモーヌ・ヴェイユの「自由と社会的抑圧」(岩波文庫)があります。故吉本隆明氏が高く評価していたフランスの女性政治哲学者で、この本は世界にファシズムが台頭し始めた1930年代前半に書かれたものです。人間を抑圧する構造が発生する原因を探り、それをなくして自由な社会を築く方法があるかを論じた内容となっています。まだ読了するまでに至っていませんが、現代日本の劣化状況を解くカギがここにあるような気がします。
 またもう一つ興味深かった本を上げると、神学・宗教学者の森本あんり氏の「異端の時代~正統のかたちを求めて(岩波新書)」はポピュリズムが蔓延する世界の現状を正統と異端という概念を使って神学の視点で考察したユニークな内容でした。

 今年1月に亡くなるまで親を介護していた身には、7月3日の東京新聞の一面記事を重く受け止めざるを得ませんでした。
 その記事には長年介護していた父親が突然亡くなり、そのことを誰にも打ち明けることができなかった女性のことが書いてありました。女性は18年前に母親を亡くしてから父親と二人で暮らしていたのですが、父親の体が弱ってくると、勤めていたデパートを辞めて介護に専念していたとのことです。親の年金収入だけで生計を立てていたので、蓄えはなく、突然の別れにこれからの自分のことや葬儀代をどうするかなどで頭がいっぱいになって何も手を付けられず、2週間ほど遺体を放置してしまったので、死体遺棄の罪に問われそうになり、不起訴処分で釈放されたとありました。
 女性とその父親の年齢は、私と自分の父親に近く、親を巡る関係などにも共通点がありました。それなのにあまりにも大きく境遇が違うことがとても重く感じられました。我が家は金銭面や人のつながりの面などでいくらか余裕があったことが明暗を分けたのでした。
 私が人との関係を大事にしたいと思うのはこんな出来事があちこちで起きていることとも関係があります。
 我が家は親の代からずっと東京新聞を購読しているのですが、この新聞を購読し続けてよかったと思います。今思えばJANJANもル・モンド・ディプロマティークデモクラTVもスペースナナも哲学カフェ横浜もみんな東京新聞の記事をきっかけに知ったのでした。

 とりとめもなくいろいろと書き連ねてまいりました。今回はこの辺で!

 (お詫び)投稿時に田中美津さんのことを山本美津さんと誤って記していました。本日訂正いたしました。申し訳ございません。(2018,09,24記)

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  • 最終更新:2018-09-24 20:54:18

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