『JanJan』の灯は消えない!! 成瀬裕史

【理想】
 1.人が心に描き求め続ける、それ以上望むところのない完全なもの。そうあってほしいと思う最高の状態。「―を高く掲げる」⇔現実。
 2.理性によって考えうる最も完全な状態。また、実現したいと願う最善の目標あるいは状態。
[デジタル大辞泉]


■私にとっての「JanJan宣言」

 とうとう『JanJan』が終わろうとしている。

 私が『JanJan』を知り、投稿を始めたのは、2009年の初めの頃だった。
 その頃の私は、「JanJan宣言」の次の〈宣言〉に共鳴していた。

「1.多くの人々が市民記者になって生活や仕事、ボランティア活動の現場からニュースを送ります」

 北日本の一地方・一次産業に立脚する者として、「都市・中央」目線ではない「ローカル・地方」目線での“ニュース”を発信したい、と考えていた…。

 しかし、同年夏の「政権交代」という「民意の実現」の“高揚”の後、「普天間問題」や「政治とカネ」問題での、メディアスクラムによるうんざりする程の「バッシング」を前にし、
私には新たに、次の〈宣言〉に重きを置くようになった。

「3.既存マス・メディアのニュース価値にかかわりなく市民の視点に立って良質な言論を創り上げます」

 また、『JanJan』の市民記者による記事を読んでいくことで、我が国の「司法」に対する“疑問符”などにも「目覚める」こととなった。
 それは、今まで私が「正義」と思っていたものに対する“疑問符”の始まりでもあった…。

「4.正義と自由、公正を大切にする市民社会の創造を目指し、市民主権と地域自治を確立する制度改革に取り組みます」

 
■『JanJan』の理想は実現されたか!?

 しかし、この「JanJan宣言」で高らかに謳われた「理想」は実現されたであろうか…?

 否、ますます悪くなる一方である…。

 市民が日々の暮らしの現場から、我が国の経済や社会情勢の「再生」に繋がるようなニュースを発信しようという「意欲」は、収入・労働条件の悪化や、
東日本大震災などによる自然の猛威、福島原発事故での無策という人災など、
次々と襲いかかってくる「過酷な現実」に、打ちひしがれたままではあるまいか…?

 また、「既存マス・メディア」は、市民が知りたい“真実”よりも、権力による“プロパガンダ”を、
“ニュース”を装って「垂れ流し」している…。

 例えば、国民の大多数を苦しめる「消費増税」を煽る一方、新聞には「軽減税率」を適用せよと言うのが「良質な言論」とは、“市民の視点”からは決して思われない…。

 フロッピーの“改ざん”や捜査報告書の“記憶違い”で「検察の正義」は地に堕ちる一方、
“推認”による有罪判決や検察審査会での不思議な平均年齢など「裁判所への信頼」も揺るぎ始める中、政治や司法に抗議する市民が不当に逮捕されるなど、
「正義と自由、公正を大切にする市民社会」は、どこかに行ってしまったかのようだ…。

 それに追い討ちをかけるように、「特定秘密保護法」は“成立”した…。

 
■分断される「市民」!?

 米国の言語学者で権力批判を続けるノーム・チョムスキー氏は、その著書「メディア・コントロール」(集英社新書)で、民主主義社会の概念として、
「一般の人々を彼ら自身の問題に決してかかわらせてはならず、情報へのアクセスは一部の人間の間だけで厳重に管理しておかなければならないとするものだ」
と述べている…。

 また、レーガン大統領時の、国民の圧倒的な人気と、国民が反対する軍事力強化の矛盾について、こう解析している。

「国民が社会の周辺に追いやられ、自分の本当の関心から目をそらされ、
組織をつくることも自分の意見を表明することも許されず、
他人も同じ考えを持っていることを知るすべさえなかったら、
軍事支出よりも社会的支出の方が大事だと考え、世論調査にはそのように答える人々も、
そんなばかげた考えを持っているのは自分だけだろうと思い込んでしまう。
現実に、圧倒的多数がそう思い込んだのだ」

「そういう意見はどこからも聞こえてこない、誰もそういうふうには考えていないだろう。
 したがって、そういうことを考え、そういうことを世論調査で答えようとする自分は、
きっと変人に違いない。
 意見を同じくする人、その意見に自信を持たせてくれる人、その意見を表明させてくれる人
と知り合って、団結する機会はどこにもないので、
自分が変わり者のような、ひねくれ者のような気がしてしまう。
 それなら黙っていたほうがいいのではないか。
世の中の動きに関心を向けても仕方がない」
と…。

■「変わり者」「ひねくれ者」の言論空間!?

 自称「変わり者・ひねくれ者」の私にとっては、日々のマスメディアを賑わす、
ワールドカップやWBC、五輪(誘致も含む)での“ジャパン”の喧騒や、
目をそむけたくなるような殺人・暴力事件の垂れ流しには「うんざり」である。

 かといって、ネットの空間でも、「ライト」による「レフト」批判に溢れているようで、
「良質な言論」とは程遠い感がある…。

 でも、そうした中、この『JanJan』には、私の拙文のような「良質とは程遠い」言論もままあるが、
少なくとも「腑に落ちる」「意見を同じくする」「自分の意見に自信を持たせてくれる」言論があり、
かつ、投稿やご意見板で「意見を表明させてくれる」場があった…。

 そんな『JanJan』がなくなろうとしている…。

■『JanJan』の灯を繋ぐため、私に出来ること

 でも、悲嘆に暮れていても仕方がない…。

 私は、「JanJan宣言」の「2.市民のボランティア活動とカンパが編集作業を支えます」に基づき、
甚だ勝手に、かつ、「とりあえず」の「仮の仮」ではあるが、
次のとおり“自称・代替サイト”として、「市民記者のページ」を立ち上げた。

 とりあえず、誰でも「投稿」できる場となったが、「ご意見板」の機能を研究中である…。

 市民記者のHPのリンクも充実させていきたい。

 また、自らの記事の保存作業ができないという市民記者の皆さんのお手伝いも出来たら、
と考えている…。

 『JanJan』の灯は消さない。
そのために、私は、私なりに出来ることを、肩肘張らずにやっていきたい…。

 多分、そう考えるのは私だけでないと思うし、だからこそ、
「『JanJan』の灯は消えない!!」
と心から思う。

 私は「理想主義者」の前に「楽観主義者」である…。

※本記事に対するご意見・お問い合わせは下記まで
E-mail:shiminkisha@yahoo.co.jp(成瀬)


  • 最終更新:2013-12-30 19:09:04

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