女優・エッセイスト高峰秀子生誕90年、『高峰秀子の捨てられない荷物』を読んでみたら 大泉千路

 今月初めの連休中に手に取った、元『週刊文春』記者で作家の斎藤明美氏の『高峰秀子の捨てられない荷物』(2001年に文藝春秋から刊行後、文春文庫と新潮文庫に収録)は、久しぶりに読書という愉しみに熱中して読みふけるほどにすこぶる面白さだった。今回紹介する意味深長なタイトルのその本は、作家の浅田次郎氏いわく「読書は娯楽」というところの読書の醍醐味、そして読後感としても大いに清涼さを感じさせてくれる好著である。ちなみにこの本は、以下にリンクしたユーチューブ動画でも紹介の『高峰秀子の流儀』(新潮社)で注目された著者初めての単著。だが侮るなかれ、最近相次いで刊行されている高峰関連の著者の近作にも負けず劣らぬその筆力に、デビュー作とはいえ読みながら常に圧倒されるばかりだった。とにかく「面白い」一冊である。


 本書は、実母の死後著者が「かあちゃん」と慕い、最晩年には養女として支えた、日本を代表する大女優で名エッセイストとしても知られる高峰秀子(2010年逝去)の評伝である。普段ならば、私の場合一冊の本を読む時に人の倍以上も時間がかかるところ、この本は声に出して読みたくなるほど文章に言いつかえるところがない。ゆえに私のような遅読の読み手でも、すらすらと一息に物語を読み進められた。本書によれば、「高峰が書き上げたばかりの原稿でも、『読んでごらん』と言われると、二人の前で音読する」ことが著者の日常になっていたというが、本書でも自らの文章を声に出しながら一つひとつ推敲を重ねたであろう苦労が窺い知れる。評伝としての著者の描写方法に嫌悪感を示した読者もいると聞くが、私個人の印象としては回りくどい表現を嫌い、一見唐突とも思える物言いだったという生前の高峰の人柄に、まるで鋭利な刃物のように冴え渡る著者の文章とがふと重なって思えた。高知県土佐市の出身でもある著者の文章には、「はちきん」と呼ばれる高知の女性特有の勝気な性格も垣間見え、言葉の歯切れの良さやその心地良いリズムに強い好感が持てる。

 もちろん文章の読みやすさ、歯に衣着せぬ率直な物言いだけでなく、私自身すでに高峰秀子を知らない世代の一人ながらその内容も非常に興味深かった。著者の鋭い観察眼から見えてくる高峰の様々な側面は当然のこと、脚本家で映画監督の松山善三、高峰秀子夫妻の特徴ある口跡が随所で仔細に再現されている点も見事である。本書が単行本として刊行された当時の書評のなかで、作家の出久根達郎氏が「高峰秀子・松山善三名言集」(斎藤明美監修『高峰秀子』キネマ旬報社に所収)と同書を評しているが、上から目線という誤解を恐れずに言えばこの出久根氏の評は実に鋭いところを突いている。今後の人生を生きぬくための箴言集としてでも良い、ノンフィクションあるいは評伝と堅苦しく考えずに、高峰秀子を知らない若い世代にこそ本書を手に取ってもらいたい。ここでの個人的な関心としては、不自由なく育ったゆとり世代と呼ばれる同年代が、幼少の頃から大きな荷物を背負いながら50年の女優人生を生きぬいた高峰の家族観や人生観、仕事観などをどう捉えるかに興味を惹かれる。

 また本書を読むまでは、生前の高峰が書いた文章について、「名文」「達意の文章」という世間の高い評価を聞いただけで、生来のひねくれ者ゆえに逆にあえてそれらを遠ざけていた。だが、今回紹介する評伝を読み終えてからというもの、エッセイストとしての高峰に対する見方は読まず嫌いからガラリと大きく変わった。本文を読む前には、本書巻末にある彼女自身の「ひとこと」、その夫松山氏や作家・皆川博子氏の文庫解説を先に目を通したが、本文を読んだ前後でこれら解説文の印象がこれほど違って見えるのも珍しい。根が単純なだけと言われればそれまでだが、高峰の署名落款が入ったサイン本や自伝『わたしの渡世日記』の文庫本(本書同様、文春文庫と新潮文庫に上下巻が収録されている)など、面白そうなものを一気に十冊近くまとめ買いしてしまった。詳伝を読み進めるうちに高峰の書いたエッセイが無性に読みたくなるのは、彼女を敬愛する著者の思いが恐らくその行間に強く込められているからだろう。

 ただ、この長編に及ぶ評伝を一読して『高峰秀子の捨てられない荷物』という意味深げなタイトルの謎は解けたが、高峰自ら巻末の「ひとこと」のなかでねじりん棒人間と呼ぶ人柄は、決してただの「良い人」のそれではないとも強く思わせられる。実に筋の通った清冽な生き方であることは言うまでもないが、それを超える掴みどころのなさも相まって一度読んだだけでは分からないところも出てくる。彼女の持つ価値観への賛否はともかく、その価値観の形成を余儀なくさせた生き方は二読、三読してようやくその理解が深まってゆく。私自身、本書のあとがきや文庫解説で触れられている、上製本で美しい装幀の単行本版を新たに買い求め、気になったところに付箋などを貼りながら今改めて読み返している。今回文庫解説を務めた先述の皆川氏が記者時代の著者の取材で、単行本刊行当時偶然手に取っていた本書を「買って三度も読みましたよ」と語った話が別の著書にあるが(『高峰秀子との仕事〈2〉忘れられないインタビュー』新潮社)、繰り返し三度読んだという皆川氏の言葉も今では強く頷ける。

 ちなみに今年2014年は、1924(大正13)年に生まれた高峰の生誕90年にあたる。それに加えて、このサイトに拙文を掲載したきょうは、5月11日母の日でもある(本書の序章には、1996年の母の日に実母と高峰へ贈ったカーネーションの話が綴られている。著者の実母が逝去したのはその二日後)。高峰とその養母、著者と実母、養母の高峰ら母娘の大きな物語でもある女優伝、なかでも著者が贈った前述のカーネーションの話を読んで、母という存在の大きさを改めて考えさせられるとともに、きょうの母の日にカーネーションを母親に贈りたいと思う方もきっと多いだろう。いわゆる評伝としては異色だがこうした形の本があっても良い、そして先に述べた節目の年、きょうの日にぜひ薦めたいと思える傑作である。本書を手にして一度頁を繰ってみれば、前出『わたしの渡世日記』をはじめ、これまで高峰の書いたエッセイを読んだことのない方でも必ず手に取ってみたくなり、かつて単行本などで読んだ記憶があるというご年配の方は、近年再刊された復刻版で再びそのエッセイに触れてみたくなるであろう。

(文・大泉千路、文中一部敬称略)

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  • 最終更新:2014-05-11 14:31:15

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