東大総合研究博物館「宇宙資源」展を見て 井上 純

 この記事はもともと昨年9月にJANJANBlogで発表しようとして書いたものである。投稿システムと新しく購入したパソコンとの間の不適合と思われる事態のため投稿ができず、JANJANBlog運営委員会に問い合わせている最中にJANJANそのものの休刊が決まりお蔵入りになっていた。企画展の開催期間はすでに終わっているが、その内容は考えさせるものがあり、筆者の拙い感想もこれからの文明・社会の在り方を人々が考える上での一助になればと思いここに掲載する。

 筆者がWebサイトを定期的に覗いて、面白そうな企画展があれば出かけることにしている自然科学系博物館の一つに、東京大学の総合研究博物館がある。博物館は東大本郷キャンパスの赤門を入った近くにある。7月ごろに「宇宙資源」展という企画展の案内がサイトに載っていた。SFおたく(乗り物おたく・アニメおたくでもありますが!)の筆者としてはいかにも興味をそそられる企画であったため、先日その展示を見てきた。その内容は企画がユニークなだけあって考えを深めるのを促すのに十分だったが、不満を感じる点もあった。
 展示の導入部として、ナウル共和国の歴史と現状について現地の写真や産物の標本などで解説されていた。ナウル共和国は、西太平洋の赤道直下にある東京の港区並みの面積の島国である。ドイツやオーストラリアなど領有権が様々な国に移ってきたこの島国が独立国家となったのは1968年であるが、1990年代までは一人当たりのGDPが世界でも有数の国であった。その理由はこの島で産出されていたリン鉱石である。この島は最も近い島までの距離が約300㎞も離れている絶海の孤島であるが、そのため渡り鳥などの絶好の休憩場所となったおかげで、多量に蓄積された鳥の糞が、長い年月をかけてリン鉱石となった。このリン鉱石がオーストラリアの農地の肥料などに用いられるようになりナウルに莫大な財貨をもたらした。共和国政府は国民に対しベーシック・インカム政策をとり、リン鉱石の収入が原資の高額の給付金支給に加え、医療・教育が無料となっていた。ナウルの人々は豪華な家や高級車などを買い、政府が雇用した家政婦に家事を任せて贅沢三昧の生活を送っていた。
 しかし、1980年ごろからリン鉱石が枯渇の兆候を見せ始め、最盛期には年間100万tもの採掘量があったリン鉱石が2000年ごろにはほぼ掘り尽されてしまった。ナウルはリン鉱石に代わる新たな収入源を得ようと画策したが、政府の政策はことごとく失敗。資源の枯渇に伴いナウルは世界有数の富裕国から世界最貧の国の一つへと転落してしまった。通信施設を稼働するのに十分な電力が賄えなくなって、国外への連絡が一時途絶えて大騒ぎになったこともあったほどである。展示はこのナウルの盛衰に何を見るかを問いかける形で入館者に資源問題への意識を高めさせる。
 次の展示は地球上にある資源について、その蓄積過程や産出地域が遍在する理由、資源利用の歴史や採掘・精製・利用に伴い発生してきた諸問題等を、主に金属資源を例にとって解説している。金属・エネルギー資源の地球上の分布(地殻での)がなぜ偏るのか、その理由は地球の形成過程と内部構造、そして元素の化学的性質(溶けやすさや元素同士の反応のしやすさなど)からくる地殻内での資源の蓄積条件の複雑さにある。人類は金属資源を手に入れやすく精製しやすいものから順に利用してきた。初めに銅、そして銀・金・鉄など。文明の発達とともに必要とされる資源の量と種類も増え、一方で採掘や精製のための知識・技術も発展した。ところが、採掘・精製技術の発達はそのために消費されるエネルギー量の急増などの問題を招き、環境に大きな負荷をかけることにもつながった。
 たとえば、人類が最初に鉄を利用したとき、元になる資源を砂鉄などの形で手に入れ、精製・鋳造もたたらのような比較的簡単な方法だった。製鉄法が発達して品質の高いものが多く生産できるようになると、鉄分を多く含有して精製もしやすい鉱石の量には限りがあるので、鉱石としては品位の低いものも利用せざるを得なくなってくる。そこで低品位の鉱石を利用する技術が開発されるようになるのだが、高品位の鉱石に比べ精製に必要とするエネルギー量が大きくなる。エネルギー資源の量にも当然限りがあるうえに、より高いエネルギーを得る必要があるので、使われるエネルギー源も木炭から石炭(コークス)へと変わってくる。
 また、鉱石の採掘場所も技術の発達に伴い、採掘の容易な地表面からそれまで採掘が不可能だった地下深くへと移ってくる。当然採掘に必要なエネルギー量も大きくなってくる。採掘・精製のために使われるエネルギー量の増大は、その分環境に大きな負荷となる。さらに鉄やエネルギーの生産に伴う廃棄物の発生も環境への負荷となる。
 人類の活動が全地球規模に広がるにつれ、資源の有限性や地球環境の悪化が意識されるようになってきた。現在どのようなことが問題となっているのか。この企画展では地球温暖化や環境汚染、生物種の減少、資源(金属・エネルギー・水・食糧)枯渇などの問題を世界銀行などの機関の調査資料などを用いて示している。そして、その問題解決のための方法の一つとして次の展示で示されるのが、主題である「宇宙資源の利用」である。
 20世紀後半から、宇宙開発が盛んに行われるようになり、太陽系への様々な天体・空間への探査計画が進むにつれて、太陽系に関する知識が飛躍的に高まってきた。アメリカやロシア(ソ連)、日本、中国、インドなどが探査機を送り込んだ月や、やはりアメリカやロシア、ヨーロッパが数多くの探査機を送り込んだ火星などは地表面の土壌などに対する多量の情報が得られている。日本の探査機「はやぶさ」による小惑星イトカワのサンプルリターンを含む詳細な探査は小惑星の組成に関する知識を飛躍的に高めた。
 その結果、太陽系の天体にもさまざまな種類の金属をはじめとする資源が多く存在することがわかってきた。中には隕鉄のように地球の地殻内よりもはるかに高い純度で存在するものもある。資源の量は地球の地殻中に存在する量よりもはるかに多く存在することが確実視されている。白金などのレアメタルなども高品位の鉱物が多く存在するとの推定がある。隕石などの研究から、特に小惑星は有望視されている。それらの資源を宇宙開発時に現地調達するのみならず、地球に持ち込むことができたら・・・・。その実現可能性と課題に対する考察が、太陽系に関するデータや世界各地で収集された隕石の標本とともに示されている。隕石の中には今年2月に、ロシア・チェリャビンスク州に落下して空中で爆発、発生した衝撃波で多くの被害が出た隕石の標本も置かれていた。
 最後に、諸問題の科学技術による解決法として、宇宙への進出以外のアプローチがいくつか示されていた。未知の鉱床の開拓(海底熱水鉱床・メタンハイドレートなど)。新資源の開発(バイオエネルギー・核融合など)。環境負荷の低減(微生物による廃棄物処理・リサイクル技術の高度化・生態系と物質循環の探求など)。そのどれもが現在東大の理学系学部・研究組織で研究が進められているものである。
 この企画展は、現在地球が抱える問題を多くの人たちに考えてもらうにあたって、「宇宙資源」という変わった切り口で関心を引こうと意図されたものと思われる。地球規模の問題を解決するに当たり、発想を変える・視野を広げるというこの企画展の提案に筆者は大賛成である。
 その一方で、地球規模の問題を考える上では片手落ちなのではないかとも感じた。地球規模の問題を解決するには科学技術に頼るだけでは不十分で、やはり社会構造の抜本的な改革が必要である。昨今存在感の高まるサステナビリティー(持続可能性)論者の主張を筆者は全面的には肯定しないが、やはり現在の大量(過剰)生産―大量(過剰)消費―大量(過剰)廃棄を前提として無限の経済成長を目指す経済体制は破たんしているのではないか。科学技術の進歩と社会問題の根本的な解決は地球規模の問題を解決する車の両輪であり、そのどちらかが欠けても解決はおぼつかない。科学技術は万能の「魔法の杖」ではない。社会構造の問題に触れずに科学技術による解決法を強調すると、科学万能の幻想を振りまくことになる。宇宙資源による資源問題の解決も、下手をすれば問題の先送り、最悪の場合は地球の問題を宇宙規模に拡大することにつながりかねない(図録では安定した生態系に「外」から資源を持ち込んだときにおこる負の影響にふれていたが、展示には見当たらなかった)。東日本大震災と、震災により発生し未だに収束の見通しがつかない福島第一原発事故は、科学技術への過信、科学者・技術者の傲慢への自然からの警鐘である。
 自然科学系の博物館で、政治・経済の根幹にかかわる問題を踏み込んだ形で取り上げるのは、担当する学芸員個人の抱く思想に影響されたり、一見もっともらしいが根拠に乏しい主張もあったりするので難しいのかもしれない。それでも、冒頭で取り上げられたナウルの事例が効果的だったので惜しい気がする。企画展をプロデュースした宮本英昭准教授がナウルの現状についての感想を図録で述べているように「一見科学技術とは関係なさそうな哲学や美術なども含め総合的に文明を発展させる必要があり、高度な科学技術を未熟な文化で保持するのは危うい」のである。

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  • 最終更新:2014-02-04 00:47:15

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