横浜市民ギャラリーあざみ野「戦争とカメラ」展 井上 純

 横浜の高級住宅街、東急田園都市線あざみ野駅周辺の一角に、男女共同参画の啓発施設や市民活動の共同使用施設を兼ねた小さな美術館「横浜市民ギャラリーあざみ野」がある。そこで2月1日(土)から23日(日)まで横浜市が所蔵する写真・撮影機器のコレクションをもとに構成された「戦争とカメラ」展が開かれている。東京新聞の地域版に紹介記事が出ていたので覗いてみた。小規模な展示であったが、写真表現・撮影機器やテクノロジーと軍事の関わり合いについてよくまとまった興味深い催し物だった。

 「戦争とカメラ」展
  展覧会パンフレット。表紙の写真はラパトロニックで撮影された核爆発

 横浜市がなぜこのようなコレクションを所蔵しているのかというと、日本の写真発祥の地の一つとして、写真による文化事業を進めるための一環でアメリカのコレクターから約1万件の資料を寄贈してもらったのだそうだ。今回は、その中から戦争と関連が深いものが日の目を見ることとなった。
 写真による戦争記録の始まりは19世紀中ごろ、クリミア戦争でロシアと戦ったイギリスが戦場に写真家を派遣したことに始まる。当時は湿板で撮影機材や現像のための道具も大きいうえに種類も多く、戦場での移動に苦労したことが伝わっている。また、1枚の写真を撮影するのに要する時間は数秒から数十秒かかり、銃弾や砲弾の飛び交う場面を撮影するのは困難だった。
 アメリカで南北戦争が始まると、写真は戦争を伝える視覚メディアとしての側面が出てきた。多くの写真家が砲弾などによる破壊の跡や兵士の死体があちこちに横たわる凄惨な場面を記録している。これらの写真は版画に移し替えられて数多くの新聞や雑誌に掲載された。また、出征した兵士が家族にあてて送った軍服姿の肖像写真が数多く撮られている。映像を立体視することができるステレオ写真もこのころ出てきた。
 やがて感度が高く手軽に扱えるゼラチン乾板やロールフィルムなどが発明されて、写真が一般の人でも扱えるようになると、各国軍隊に写真専門の部署が設立されるようになった。1枚の乾板やフィルムをもとに複数のプリントを複製できるようになると報道にも多用されるようになった。写真の一般大衆に働きかける訴求力が強まると、軍部は情報統制に乗り出し、戦争報道への検閲も始まった。その一方で、写真は自国民や敵国、中立国に対する有力なプロパガンダの手段となった。
 20世紀に入ると、カメラは感度の向上や撮影速度の短縮、扱いの容易さの向上に加えて、機器の小型化、様々な条件下での耐久性の向上が急速に進み、それに伴って軍事での用途も単なる記録用から偵察、訓練などに広がった。
 展示されていたのは黎明期の写真機やそれを用いて撮影された戦場の記録写真をはじめに、時が下り技術が発達するにつれ用途の広まったさまざまな写真や撮影機材、またそれらに関連するものである。印象に残ったのは第1次世界大戦以降特別の用途に作られた特殊なカメラの数々。たとえば戦闘機の射撃訓練用に作製された‘ガン・カメラ’は搭載される機銃に似た形に作られている。機銃の固定場所に取り付けられ、機銃のトリガーを引くと連続撮影が開始されて、標的が照準線上に重なって映っていれば命中と判断される。第1次大戦時にイギリスの戦闘機に搭載されたピッカート社製のものや、日本の小西六( 現コニカミノルタ)が陸海軍の戦闘機用に製作したものなどがあった。
 また、スパイが諜報活動用に使うマッチ箱大の超小型カメラは第1次大戦と第2次大戦の間に急速に発達したものだ。この手のカメラを早くから実用化したのはラトヴィアのメーカーで、各国の諜報機関に採用されていたようだが、1940年にラトヴィアが旧ソ連に併合されると、ほかの国でも作られるようになった。諜報活動用に作られたカメラの中には、オペラグラスの形に偽装されているものも展示されていた。
 各国軍の写真班が使用したカメラは、野外で分厚い手袋をはめた手でも容易に扱えるよう、市販のものに比べてシャッターボタンやノブなどが大きめに作られていた。もちろん、戦場の過酷な条件で作動するよう、ボディーなどは堅牢に作られている。
 第2次大戦中には、地下壕に隠されたり、巧妙に偽装された兵器を発見するために、赤外線カメラが開発された。カメラの展示はなかったが、テスト撮影と思われる写真があった(被写体はナイアガラの滝)。
 変わったものでは、写真偵察用のカメラがあった。20世紀初頭にドイツで作られたもので、製造された年代では最小の大きさの部類に入るという点を除けば、一見何の変哲のないカメラだが、実は軍用鳩の胸に括り付けられるようになっている。カメラを括り付けた鳩を飛ばして、敵陣地の写真偵察を行う意図で作られたのだが、実用には至らなかった。
 アジア太平洋戦争時、アメリカ軍は写真班用に写真撮影のための詳細なマニュアルを作成していた。軍事情報用のよい写真とはどのようなものか、何を、どのように撮影するか、そのようなことを解説したかなり厚みのあるマニュアルが会場の中に置かれていた。
 そのように撮影された写真の数々はあるものは戦闘記録として扱われ、またあるものはプロパガンダとして写真雑誌を飾った。展示されている戦時中の「ライフ」誌には米軍の宣伝のためのページが割かれ、最初は精強に映った日本軍の崩壊が始まったことを示すため、前のページには日本での軍事パレードの写真が、次のページには米兵が倒した日本兵の死体を写した写真が載っている。
 軍事目的の撮影技術の進歩は第2次大戦以降も止まることはなかった。展示室の一角を占めていたのは、冷戦時に旧ソ連領の奥深くに侵入して核ミサイル基地の様子を探った米軍の戦略偵察機U2に搭載されていたカメラである。20,000mの高度から地表の細かい部分も鮮明に映るよう高解像度を要求され、さらに高高度の過酷な条件下で確実に作動するようになっている。このような高い性能を実現するため、技術が進歩するにつれ小型化するカメラ一般の傾向に反し、エレクトロニクスの黎明期である当時の技術では子供の身長ほどもあるような大きな機械にならざるを得なかった。
 順路の最後に鎮座していたのは、ラパトロニックと名付けられた核実験で発生する現象を計測・記録するために製作された特殊なカメラ。人間の肉眼ではとらえることのできない短時間での現象を逃さず計測するために、撮影速度百万分の1秒という超高速度撮影を実現させた。そのカメラのとらえた核爆発の映像は人間が抱える闇の部分が産み出した異様な生命体のように見える。人間が把握できる能力を超えた領域を記録する技術、それは、人間が自ら生み出したものに振り回される予兆を感じさせるものである。
 人間、戦争、技術、メディア、この展覧会はそれらの関係を熟考するヒントが凝縮した質の高い催しである。

横浜市民ギャラリーあざみ野「戦争とカメラ」展
2月1日(土) ~ 2月23日(日) 10時~16時(会期中無休)
東急田園都市線あざみ野駅下車 徒歩5分
入場無料
 

  • 最終更新:2014-02-14 22:39:30

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