死刑について深く考えたい方必見・東京新聞の連載記事「二月二十一日」 井上 純

 自民党への「再」政権交代から2か月がたった2013年2月21日、3人の死刑囚に対する刑の執行が行われた。一人は2008年に茨城県土浦市で9人もの連続殺傷事件を起こした金川真大、一人は2004年に奈良で少女を誘拐・殺害した小林薫。この二人の起こした事件については発生当時にメディアに大々的に取り上げられ、その名を記憶している人も多い。しかし三人目については被害者の遺族などの関係者以外でその名を記憶にとどめている人は少ない。彼の名は加納(旧姓武藤)恵喜。2002年に名古屋で殺人事件を起こした男だった・・・・。

 昨年12月17日から東京新聞の社会面で連載が始まった「二月二十一日~ある死刑囚の記録」は死刑について深く考えてみようとするうえで様々な視点を示唆する記事だ。記事は「加納恵喜」という一人の死刑囚に焦点を当てて彼に関する様々な事柄を丹念に掘り起こし、時々の中断を挟みつつ今日まで連載を続けた。内容は恵喜の生い立ちや彼の起こした事件について、裁判の経過、被害者の遺族、裁判以降に彼と交流を持った人々のこと、1審の開始から刑の執行までの間に起きた社会の変化と彼の心理の遍歴などを追っている。
 名古屋で事件を起こして捕まるまでの恵喜の生き方は、だれが見ても「いい加減だった」と思うだろう。子供の頃はよく嘘をつき、騒動を起こしては人を困らせる。中学を出た後は住まいと職を転々とし、やがて盗みなどを働くように。そして名古屋の事件の約20年前に、人を殺める。15年の懲役刑を務めた後、刑務所を出るが、まともな職には就けずに窃盗や詐欺などを繰り返し、ついには名古屋で2度目の殺人を犯してしまう。
 名古屋の事件での裁判は、1審では無期懲役となったが、検察側が控訴した2審では逆転し死刑に。最高裁への上告は2007年に棄却されて刑が確定した。恵喜の担当弁護士によると、死刑か無期かの判断はきわどい性質の事件だったという。
 拘置所暮らしが始まってから出会ったさまざまな支援者との触れ合いの中でどちらかといえば軽薄な生き方をしていた恵喜の心は徐々に変わり始め、親しい人を殺された遺族の思いにも心を向けるようになる。最初はうわべだけだった贖罪の言葉も変化がみられ、自暴自棄気味に「死刑でいい」と言っていたのも言わなくなった。獄中でキリスト教の洗礼を受け、支援者の牧師夫妻の幼い娘との面会を心待ちにするようになった。
 民主党への政権交代で死刑の是非についての議論を盛り上げようとの機運が高まり、当時の千葉法相は法務省内に勉強会を立ち上げたり、刑場の公開に踏み切ったりしたが、議論はあまり深まらず、3年後に「再」政権交代が起こる。そして恵喜は運命の日を迎える。
 取材に当たって2月21日に刑を執行された3人の中から恵喜を選んだのは、彼がほかに2人に比べて名が知られていない存在だったことに加えて、ほかの2人に比べて人間的にありふれた存在だったからではないか。金川真大も小林薫も起こした事件が特異性を帯びている分、その特異性に引きずられるため死刑の是非を論ずる材料としては必ずしも適切とはいえない。どこにでもその人物像を見出せそうな恵喜にスポットを当てることで、死刑囚になるのは一部の特異な人間なのではなく誰でもなりうることを示唆することができる。記事は恵喜に関する事実を掘り起こすことに重点を置き、死刑に関する議論には取材に応じた人物の意見を紹介するのみにとどめている。しかし、一人の死刑囚に関する事実を詳細に明らかにしたことでかえって死刑に関する見方を深めていくことができる。
 記事はWebサイトでも公開され[http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/feb21/list/]、全記事を通してみることもできる。
  •  加賀 乙彦氏の「死刑囚の記録」 --- 八代勝美 (2014/03/08 07:59:11)
  • 類書のご紹介ありがとうございます --- 井上 純 (2014/03/09 15:13:09)

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  • 最終更新:2014-03-07 13:14:48

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