無党派層への緊急アピール~安倍政権に見下されないために  井上 純

 参院選の盛り上がる方が低調だ。6月24日に各種報道機関の世論調査が「改憲勢力が3分の2を伺う」と報じられて以来、日々の報道に扱われる割合が相対的に小さい。英国のEU離脱に関する国民投票の結果や、イズタンブールのテロ、日本人も巻き込まれたダッカのテロなど大きな衝撃を与えた事件が続くが、それにしても国政選挙に対する世間の関心が低いように感じる。
 この背景には安倍政権の世論誘導の思惑があるように思われる。この政権は自らの政策に対し、大多数の国民から本気で理解を得たいとは端から思っていない。ただ形のうえで、多くの人の支持が得られたと解釈できる事実ができればそれでいいと思っている。たとえ投票率が選挙自体の正当性を疑わせるほどの低さだったとしても、その選挙で与党が大勝すれば「党の公約に対する多くの国民からの支持が得られた」ことにしてしまう。無党派層を自分たちにとりこむことにエネルギーを使うよりも、彼らを選挙から遠ざけて、組織票だけで勝てるように画策している。
 そこで目を付けたのが多くの無党派層に流れる政治への表面的に無関心と、その底に根差す「政治への不信・白け・シニカルな気分」である。この気分を大いに高めることで、むしろ政治に何も期待させないように仕向けている。ちょうどそうした気分を醸成するのに都合のよい出来事が6年ほど前にあった。自民党政治の転換を期待された旧民主党政権が迷走し、政権交代がうまくいかなかったことである。安倍首相が前政権の「醜態」をことさらにあげつらうのも、自らの政治をよく見せることよりも、むしろ政治への期待を奪うことにより、国民の関心を遠ざけることを狙っている。国民の政治への関心が無くなれば、自分たちのやりたいことに対するフリーハンドが得られると踏んでいるのだ。そしてそれは成功しつつある。
 投票を棄権する人たちは、すべての政治家、そして政治という営みそのものに対する諦観をそのことで表しているつもりかもしれないが、政権側はそれを自分たちへの「白紙委任状」と勝手に解釈し、だれも支持していないことを強行する根拠にしている。
 なぜ首相は自らの政策に対する有権者の理解を得ることを軽視するのか。自分のすることに対する自信のなさの表れであることは確かだが、それだけではあるまい。むしろ一般大衆は情理を尽くして話す相手に値しない連中だとみている節がある。それは国会での答弁の時、質問の内容をはぐらかしたり、質問者への揚げ足取りに終始したりすることにも表れている。つまり有権者は見下されているのだ。ここで「日本の劣化した政治状況」を冷笑して投票を棄権することは、首相の策にはまり自ら進んで侮蔑されることになる。
 ここで投票という行為を、政治に口を出す権利を得るための行為ととらえたい。投票先は「自分の意見に耳を傾けてくれそうな候補」に定めればよい。安倍首相に追随する与党はその条件に当てはまらないことは明白である。投票を棄権すれば、自ら意見する権利を放棄したことになる。それだけは避けよう。
  • 改憲手続きについても「形の上」だけで大多数か望まないことを決める恐れがあります。慎重に考えましょう。 --- 井上 純 (2016/07/05 14:19:28)

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  • 最終更新:2016-07-04 22:45:31

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