目をそむけたくなるような結果を突き付けられても、なおあきらめてはいけない。 井上 純

 我々が最も避けなければならなかった状況が生まれてしまった。昨日の参議院選挙で自民党などの改憲勢力がその発議に必要な3分の2に達することが確実となった。野党側は1人区で共闘し、第2次安倍政権下での国政選挙ではかなり善戦したが、3分の2を阻止するまでには至らなかった。投票率は54%。前回よりも若干上向いているとはいえ、約2人に1人が棄権するほどの低投票率だった。なぜ野党共闘が期待された成果を上げなかったのかは、識者の分析を待ちたい。
 今回も報道各局が選挙戦直後に出した惨憺たる予想が現実のものとなってしまったが、最初にこの情報に接したときに思ったのは、予想通りになった場合、SEALDsやT-n’s sowlの若者たちはどうするだろうかということだった。たぶん、彼らは決してあきらめないのではないか。
 特定秘密保護法が国会で可決されたとき、彼らは前身のSASPLを組織して国会前で抗議活動をしていた。成立した直後に「民主主義は終わった」というツイートがネット上に流れた。それを目にした彼らは思った。民主主義が終わったのなら、また今から、ここから始めればいいと。昨年盛り上がった安全保障関連法反対運動で彼らが発したコール「民主主義って何だ!」「これだ!」はこのツイートに対する彼らの回答である。
 反対運動の激化にもかかわらず安保関連法が成立したときも、リーダー格の一人の奥田愛基さんは「国会で野党が弱い状況でこのような結果になることは覚悟していた」といい、すぐさま市民に「選挙に行こう」と呼び掛けた。ことあるごとに打たれ強さを見せ、頭の切り替えも早いその彼らが今回の結果を見てもあきらめるとは到底、思えないのだ。
 彼らだけではない。将来の子供の幸せを願う「ママの会」の面々も、戦中は本土決戦の「捨て石」とされ、復帰後は日本政府から過大な基地負担を押し付けられることに怒るウチナンチュウも、核と放射能がもたらす理不尽にあらがう広島・長崎・高知・福島の人々もやはりあきらめないのではないか(実際に今回の選挙では沖縄と福島の与党議員は落選した)。であるならば、筆者もそれに倣いたいと思う。現政権は何が道理なのかまるで分っていないような行動をとり続けているが、理にかなわぬことはいつか必ず破たんする。
 ここでちょっと砕けた話をすることを許していただきたい。筆者がSFおたくであることは折に触れて表明しているが、昨年、「スターウォーズ」の関連本で「ぼくたちはフォースの使えないダース・ベイダーである(ダース・ベイダーを通じて生活を向上させる評議会編・講談社)」という本を買った。その中に「ぼくたちは、親と同じ道を歩むとは限らない」という項目がある。のちにダークサイドに落ちてダース・ベイダーを名乗ることになるアナキン・スカイウォーカーとその息子ルークはお互いが抱える素質と性格がほとんど同じだった。しかしルークは父と同じ道を歩むことにはならなかった。父の存在は息子にとって反面教師となったからだった。もし父と同じような悪い運命を歩むのではないかと思ったとき、「NO!」と叫んでそれを拒絶すればいい……。
 何が言いたいのかというと現在の状況が戦前の軍部独裁に通じる部分があるのではないかと言われていることに対して、必ずしも同じ運命をたどるとは限らないということだ。そうなるかどうかは、我々がどれだけの力を込めてその流れを拒絶できるかにかかっている。
 憲法改悪などの強権的な流れにどのように抗するか。方法はある。「改憲4党」といわれるが、実は各党及びその所属議員の間で積極性の濃淡や方向性の違いなどのずれがある。復古的性格が著しく、特に改憲に積極的なのは自民党の中の首相と親しいグループと「日本のこころを大切にする党」だけである。公明党はむしろ護憲に限りなく近い「消極的改憲派」である。「おおさか維新」は道州制や統治機構が優先課題であっても、平和主義の根幹である9条や基本的人権を定める条文などを変えることには(反対はしないだろうが)興味がない。
 自民党が公明党に呑めない政策を強いるためにおおさか維新を駆け引きの材料に使うだろうが、自民党が公明党の組織票に依存しているとの報道が正しければ、自民は簡単に公明との関係を切れないはずである。公明が政権にとどまることを最優先にして自民の要求を丸呑みすることも考えられるが、やりすぎれば公明の支持母体の創価学会員が黙っていない。おおさか維新が優先する改憲の方向性は省庁の権限を狭めることにつながり、弱くなっているとはいえ自民の各族議員には呑めない部分がある。また自民党の良心派は今は党中央に公認の可否や閣僚・党幹部などの人事の権限を抑えられて小さくなっているが、安倍首相があまりにも傲慢になったり、改憲を焦って強引に事を運ぼうとしたりすれば、「ここは自分の立場を賭してでも」という人は必ず出てくる。この一枚岩でない改憲派内部の力学を利用して発議を阻むことは決して不可能なことではないと考えられる。
 また、特に焦点となってくるのはおそらく一番発議される可能性の高い「緊急事態条項」の追加だろうが、原案に厳しい条件を付けてほとんど発動しにくく、また簡単に解除できるようにしてしまえば(例えば緊急事態宣言後1か月以内に必ず国会の承認を得なければならず、その際に衆参両院それぞれの5分の4以上の議員の承認を得られなければ宣言とそれに基づくすべての政令は無効とする。緊急事態宣言に基づいて政府が執る処置はもれなく記録に残し、解除後速やかに国会によって検証されなければならない、など)実質的な意味はなくなる。
 ただ、それには野党議員に高度な判断力と政治的駆け引き、広く市民に訴えかける力が必要で、市民側にも恒常的に政治に働きかける努力が必要だ。
 今我々に必要なのは雑草のような踏まれ強さとしたたかさだ。最後に、柄谷行人氏が「憲法の無意識」(岩波新書)で紹介していたフロイトの言葉、それと1989年の中国民主化運動の学生リーダーの一人だったチャイ・リン氏が天安門事件に遭遇して当局による弾圧を辛くも逃れた時に語った言葉を引用して筆を置きたい。
 「人間の知性は人間の欲動生活に比べて無力だ。このことを私たちは今後も繰り返し強調するでしょうし、そうするのが正しいかもしれない。ただ、この知性の弱さというのには何か独特のものがあるのです。知性の声はか細い。しかしこの声は誰かに聞きとられるまでは止むことがない。何度も繰り返し聞き過ごされた後、最後にはやはりそれを聞き取ってくれる人が出てくる。これは、私たちが人類の未来について楽観的であるのが許される数少ない点のひとつですが、そのこと自体が意味するところも小さくありません(ジークムント・フロイト)」
 「暗闇が深まれば深まるほど、夜明けは近い(チャイ・リン)」

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  • 最終更新:2016-07-11 13:26:23

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