米軍基地は本土から来た

 沖縄への米軍基地の過度集中を沖縄戦の結果と思っている人達が多い。先日の平和慰霊祭に関するマスコミ報道にもそう言う論調が多かった。違うのである。その前からも沖縄に有ったが、今ある米軍基地の大半は戦後もだいぶ経ってから後に、本土から移されて来たのである。沖縄への基地集中は、1945年の沖縄戦では無くて1953年の朝鮮戦争の休戦成立が、直接の原因である。沖縄に基地を押し付ける側の政府がこれに触れないのは当然として、沖縄側からの指摘もあまり聞か無いのは不思議である。敗戦後の占領政策が一段落して進駐軍の大半は米本国に帰ったが、1950年の朝鮮戦争勃発で再び日本に戻って来た。すると本土の基地周辺では、米兵による性犯罪が多発して風紀上・教育上悲惨な状況に陥った。これに対しては当然、婦人団体を中心に基地反対運動が沸き起こった。運動は米軍基地を抱える全国各地に広がり内容も次第にエスカレートしていった。全国的な反米感情の高まりを懸念した米軍は、これらの基地を沖縄に移し始める。

 沖縄は1952年発効のサンフランシスコ講和条約から外されて未だ米軍の管理下にあったので、武装兵による暴力的土地収奪が可能であった。また1953年に朝鮮戦争が休戦状態になったために、米軍基地の場所は朝鮮から遠くて抑止力の無い沖縄でも構わなくなっていた。本土側は日本復帰後は難しくなるから移すなら今の内とばかりに、日本中の米軍基地が次々と沖縄に移された。こうして全国の74%の米軍施設が沖縄に集中した。決して沖縄戦の結果ではない。本土の基地被害を防ぐために本土から移されて来たのである。これを正当化するために作られた理屈が、日本の中で抑止力は沖縄だけにあるとする沖縄抑止力論である。本土の被害を回避する上で沖縄の犠牲は不可欠な必要悪と言うのが、本土の大半の官民の暗黙の了解であった。彼らは長い間これを表面に出さずに互いに空気として読みあって来た。

 従がって空気なんか読まない宇宙人首相が、タブーを破って普天間基地の県外移設を言い出した時の彼らの怒りたるや推して知るべし。配下の閣僚の非協力、官僚の妨害、マスコミの集中砲火、多くの国民のブーイングの中で、鳩山首相は県外移設を撤回した上で政界からの敗退を余儀なくされた。そして沖縄県民に無用な希望を与えて本土の安全を脅かした愚か者として、聞くに堪えない誹謗中傷・人格攻撃が今に至るまで続いている。しかし彼が点じた火は県民の間に燃え広がり歴代政権と対峙して燃え盛っている。我々「沖縄に鳩山由起夫の銅像を建てる会」は、米軍基地が本土から来た事実を前面に出す事が、普天間基地の辺野古移設を阻止する上で、重要であると考える。これによって、沖縄抑止力論が差別に過ぎない事を明確にし、普天間基地を本土の国民には強要できないから県内移設が唯一の選択肢であるとする政府の主張の破廉恥さを、白日の下に晒す事が出来る。

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  • 最終更新:2015-08-03 21:47:05

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