辺野古沖海上波高し

  2013年1月、普天間飛行場の県外移設を求める沖縄県民の東京でのデモ行進に、沿道から「売国奴!」「本土の女性はどうなってもいいのか!」「恥を知れ!」「沖縄へ帰れ!」等と叫ぶ女性達の金切り声が銀座の空を引き裂いた。デモの最後まで執拗に追って来た悲痛な叫びは、基地問題の本質を浮き彫りにした。

 日本の敗戦で進駐して来た米軍は占領が一段落すると米本国に引き揚げていたが、1950年の朝鮮戦争勃発で再び日本に引き返して来た。すると本土の米軍基地周辺では米兵による性犯罪が頻発し、風紀上・教育上悲惨な状況に陥った。これに堪りかねた婦人団体を中心に住民の間から基地撤去要求運動が湧き起こった。山梨県の忍草母の会等が有名である。運動は米軍基地を抱えて同じ問題に悩む全国各地の米軍基地所在地に広がり、内容も次第にエスカレートしていった。全国的な反米感情の高まりを懸念した米軍は、これらの基地を沖縄に移し始める。

 1953年に朝鮮戦争の休戦が成立して、米軍基地の場所は朝鮮から遠くて抑止力の無い沖縄でも構わなくなっていた。また沖縄は、その前年に発効したサンフランシスコ平和条約から外されていたので、武装兵による暴力的土地収奪が可能であった。本土側は沖縄の日本復帰後は難しくなるから移すなら今の内とばかりに、日本中の米軍基地を次々と沖縄に移した。全国の74%の米軍施設はこうして沖縄に集中したのである。これを正当化する為に作られた理屈が、日本の中で沖縄だけにしか抑止力がないとする沖縄抑止力論である。以後米兵の犯罪は沖縄だけに集中する。本土が被害を免れるには沖縄の犠牲が不可欠な必要悪であると言うのが、本土の大半の官民の暗黙の了解である。

 銀座で沖縄のデモ隊に罵声を浴びせた女性達にとって、「対岸の火事」を通り越して「他人の不幸は蜜の味」ですらあった沖縄の被害が、米軍基地の本土移設によって自分達にも及ぶようになる事態は、想像を絶する悪夢だろう。しかしそれは杞憂である。政府が運用改善等と言を濁して、米兵の犯罪を防止するための地位協定をヨーロッパ並みに改定する事に頑として応じないのは、被害が沖縄だけに集中しているからである。県外移設によって被害が本土にも及ぶ事態になれば直ちに改定して国民を守るだろう。そうしなければ政権が持たない。

 本土の女性を守るには沖縄への米軍基地押しつけが実現可能な唯一の選択肢であるとして、政府が国家権力を露わにして普天間基地の辺野古移設を強行しているために、陸では警視庁沖縄征伐機動隊と沖縄県民決死隊、海では海上保安庁沖縄鎮圧保安本部と県民カヌー隊との間で、それぞれの女性達の運命を賭けた壮烈なバトルが展開されている。

  • 最終更新:2015-11-18 10:17:56

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